木口 政樹 2019年9月20日(金) 0時0分
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韓国では女性の地位が低そうに見えながら、どうしてどうして、そんなことはまったくない。世界の国と比べても、ここ韓国の女性はパワーがある。それは姓の問題だけではなくいろいろの面に見られる。
女性は結婚したら男性の姓になる。アメリカ、ヨーロッパがそうであり、日本もまたしかりだ。ところが韓国はちがう。結婚しても女性の姓は元のままだ。韓国は儒教国家だ。本家本元の中国以上に儒教文化が根強く残っている。その影響もあってか、ここ韓国では女性の地位は低いものだった。族譜(ジョッポ、家系図)にも、本来は女性の名前は載らないのだ。
お正月やチュソク(秋夕と書いてだいたい日本のお盆に相当)などの名節のような大きな年中行事には、女性だけが、料理作りに、掃除に、後片付けに、子どものめんどう見にと、とにかく汗だくになって働く風景がいまでもよく見られる。チャレ(茶礼と書く。法事のようなものと考えてよい)の場で、先祖に対してジョル(頭を地につけて行う最敬礼のような行為)をするのは男だけ。料理を作り準備をするのは女性なのに、準備したものを前にジョルをする資格がないのである。よそ目にも痛々しいと思うほど、女性の地位は低いのだ。最近は女性もジョルができるように取り計らってくれる家柄もあるようだが、本来の伝統としては女性はジョルをしない。
しかしこと「苗字」つまり「姓」に関しては、結婚しても男の姓にならず、つまり男の従属物にならず一個の独立した人格なのである。結婚しても姓が変わらない文化は、韓国のほかにも中国やベトナムなどがあるようだ(モンゴルなども人名に関しては特異なものがあるようだけれど、詳しくは知らない)。
生まれた子どもは男親の姓を名乗ることになっているが、戸籍法が改正され、戸主制が廃止されるにともなって、子どもは(希望すれば)母親の姓をとって名乗ることもできるようになった。そうなる前の数年間は、父親がキム氏で母親がパク氏なら、子どもは「キムパク」という姓にすることが流行っていた。両方の姓をとって子どもの姓にするのである。たとえば名前が「ヒョンシク」なら「キムパク・ヒョンシク」というような姓名になるわけだ。いっときこんな現象もちらほら見えたけれど、今はほとんどそんなふうにする親はいないようだ。30年以上学生を教えている間、今までこんなふうに二親の姓を重ねてつくったような姓は一人二人くらい見たかもしれない。
ところで女性の地位が低そうに見えながら、どうしてどうして、そんなことはまったくない。世界の国と比べても、ここ韓国の女性はパワーがある。それは姓の問題だけではなくいろいろの面に見られる。まず生活力のたくましさをあげることができよう。昔から韓国は戦争に巻き込まれてきた。ものの本には、900回以上も侵略の戦争に巻き込まれたと書いてある。
ここ最近では、1950年6月25日の「ユギオ」をあげることができる。北朝鮮のとつぜんの挑発にはじまる朝鮮戦争のことである。6月25日の、六(ユク)、二(イ) 、五(オ)をつなげて「ユギオ」という。血で血を洗う激しい戦争であった。こうした戦争のときごとに、男は駆り出され、女はあとに残って子どもや親のめんどうを見る。ぼやぼやしていては、食うものも手にはいらない。目ざとくあたりを観察し、必要なものはすばやく自分のものとして調達しなければ、あした食うものもない時代だ。そういう素早さ、すばしこさ、目ざとさ、そして多少のずうずうしさが培われていく。もう半世紀以上も前の話だが、現代の韓国女性にも、こうした気質が色濃く流れているように感じる。ひとことでいえば、生活力旺盛ということになろうか。
二番目として、強さをあげることができると思う。ここでいう強さとは、語句そのものの意味での強さである。運転手に食ってかかる激しさについては以前どこかで述べた気もする。車で接触事故がおこっても、こちらの女性は負けてはいない。相手が巨体の男であろうがだれであろうが、こっちに非はなく悪いのはそっちだという主張を断固として行う。その姿はほれぼれするほどだ。とにかく、言うべきことはすべて言う。断固たるところが見られる。なよなよ、へなへなしたところのない点は実に芯が通っている。
三番目としては、排出のパワーといったものだろうか。大の男をすくみあがらせるような大胆なところがありながら、内では非常にデリケートでハニーな面をもっている。その内なるデリカシーが傷つけられようものなら、内に閉じ込めておかずに外に排出する。好きなことは好き、いやなことはいやとそのままいう。だからときには争いにもなるが、常に排出しているから、たまりたまって(黄昏離婚のような)大爆発を起こすということは比較的少ない。もちろん人間だからそういう女性もいるだろうし、そういう夫婦もいよう。が、全般的に見た場合、日本よりもこういう不意打ちの爆発は少ないように見える。
日本において2007年4月の法律改正にともない、日本の妻たちは年金の半分を無条件でもてるようになったことで、定年退職離婚が急増しているというではないか。ダンナの定年を待って、あるいは子どもの就職を契機に、とつぜん離婚すると通知するものだ。それまでのかいがいしさはどこへ行ったのかと思えるような光景が多々見られるようであるが、そういう図式はここ韓国ではちょっと想像しがたい。大爆発する前に小爆発しながら、その都度排出し軌道修正しているからだ。
最後に愛のパワーをあげたい。これは韓国女性だけに限ったことではなく、女性の本来的な性質の一つといってよいかと思う。やわらかく包み込むような愛である。この愛の強度がどうもここ韓国の女性は強いようである。夫や子どもを亡くしたりしたときの、地面をたたき、胸をたたき、頭をかきむしる姿。足を宙にうかべてバタつかせ、全身全霊でその苦しさ切なさを表現する。あれは愛の力ゆえのことであろう。韓国のニュースの画面に、そんな場面がときおり出る。そのたびに愛のパワーのすさまじさを思い知らされるのである。あの姿つまり原初的で動物的な姿は、日本の女性にはほとんど見られないのではないだろうか。理性的に、静かに涙を流すだけだ。これはおそらく愛のパワーが少ないというよりも、表現のしかたが異なるだけのことなのかもしれないけれど。
■筆者プロフィール:木口 政樹
イザベラ・バードが理想郷と呼んだ山形県・米沢市出身。1988年渡韓し慶州の女性と結婚。元三星(サムスン)人力開発院日本語科教授、元白石大学校教授。趣味はサッカーボールのリフティング、クラシックギター、山歩きなど。著書に『おしょうしな韓国』、『アンニョンお隣さん』など。まぐまぐ大賞2016でコラム部門4位に選ばれた。 著書はこちら(amazon)Twitterはこちら※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。
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