<コラム>朱旭さんの思い出―NHK「大地の子」の養父役と同じ飾り気のない誠実な人だった

如月隼人    2018年9月17日(月) 11時50分

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俳優の朱旭さんが15日、北京市内で病気のために死去した。朱さんは数多くの舞台や映画などにも出演し、名俳優として尊敬されていた。中国では「国宝級」とも言える存在だった。

俳優の朱旭(ジュウ・シュー)さんが15日午前2時20分(日本時間同日午前3時20分)、北京市内で病気のために死去した。朱さんは数多くの舞台や映画などにも出演し、名俳優として尊敬されていた。中国では「国宝級」とも言える存在だった。日本関連では1995年から96年にかけてNHKが放送した「大地の子」(原作:山崎豊子)に主人公の養父役で出演し、「血のつながりのない息子」に対する切々たる愛を見事に演じて感動を呼んだ。

私は朱さんと、ほんのちょっとだけ接点があった。朱さんが来日した時のことだ。「大地の子」の放送からまだそれほど日が経っていなく、あの感動的な演技の記憶がまだ新しかったころだ。

朱さんが来日するとのことで、千葉県を中心とする民間グループが連絡を取ってお願いをしたことがある。千葉市稲毛区にある溥傑(清朝最後の皇帝・溥儀の弟)の旧宅の保存のための資金集めのイベントが予定されていたので、出演していただきたいと申し出たのだ。

本当に「ボランティア」としてのお願いなのだが、「私が文化の保存のために役立つならば」と快諾していただけたという。私は朱さんをお呼びしたグループの皆さんにずいぶんお世話になっていた。そこで「通訳ボランティアをしてほしい」と言われた。もちろん、お受けした。もっとも「私の中国語会話力は相当に低いですよ」とはお断わりはしておいたが。

朱さんの表情や話し方は、あの「大地の子」の養父役そのままだった。訥々(とつとつ)と語る。無駄な言葉はない。が、それだけに、朱さんの気持ちがよく伝わってきた。

控えていた朱さんを、いろいろな人が訪れてきた。「有名人は大変だなあ」と実感した。中には、朱さんとはあまり関係のなさそうな話を持ち込む人もいた。

しかし朱さんは、ひとりひとりに丁寧に対応した。訪ねてきた人が立ち去ってから「あんな話を私にしても、仕方ないと思うんだが」とこぼしたケースもあったが、それでも次に来た人の話を丁寧に聞き、応対していた。

私は「大地の子」で見せた演技と変わりのない、飾り気がなく誠実な朱さんの人柄に感銘を受けた。朱さんをお招きしたグループの人も「『大地の子』の役とまったく同じ、いい人なんだねえ」と口々に言っていた。

余談ではあるが、朱さんをお招きしたグループからはその翌年にも声がかけられた。やはり溥傑旧宅の保存のための資金稼ぎのため、今度は映画の上映会をやるという。

溥儀の生涯を描いた作品で、溥儀は多くの場面で中国語を語る。日本の映画会社の作品だが、届いたフィルムを試写したところ、中国語に字幕がついていないことが分かった。そこで私に、中国語部分で「活動弁士をやれ」と言われてしまった。

もちろん自信はまったくない。どうしてもやってもらわねば本当に困ってしまうと言われ、やむをえずお受けすることにした。スケジュールを聞くと、上映会は何と翌日。映画会社からの台本が届いたのは私に電話があった当日。台本にも中国語しか書かれておらず、「どうしよう」ということで夜中になってから私に電話したという。私は東京都内に住んでいるので、千葉県に住んでいるその人のところまで、その晩のうちに台本をもらいに行くことは、もうできなかった。

当日の朝早く、会場に到着して台本を見せてもらった。幸いなことに中国語はそれほど難しくなく、理解することはすぐできた。ただ、日本語を書いている時間はない。結局、「同時通訳的完全素人的活動弁士」をする羽目になった。

どういう結果になったかは皆さんのご想像にお任せする。私を呼んだグループの人からは「溥儀が何を言わんとしていたかは理解できた」とのお言葉を頂戴した。

私は、上映会が朱さんの来日した年と重ならなくてよかったと、心の底から思った。中国きっての名俳優の前で、とんでもない素人弁士の醜態をさらすことだけは回避できたからだ。

中国メディアはその後も、朱さんの話題を時おり伝えていた。そんな記事を見るたびに、朱さんの人柄を思い出し、ほんのわずかな時間ではあったが朱さんとご一緒できたことを懐かしく思い出した。

中国ではよく、「古い世代の人は誠実で信用できる人が多い、若い世代の人は、なかなかそうもいかない」という。改革開放政策で経済成長し、自分の目先の利益を最優先する人が多くなってしまったからという。

とすれば朱さんは、古きよき時代の善良な中国人の考え方や価値観をしっかりと持つ人だったのかもしれない。そんな朱さんの訃報に接し、ただただ残念だ。ご冥福をお祈り申し上げます。

朱さんは1930年に遼寧省瀋陽市で生まれた。1949年に本格的に演劇を学び始め、1952年には北京人民芸術劇院の第1期俳優になった。1980年代からは映画出演が多くなり、一般的な知名度も大いに上がった。また、出演したテレビドラマの「大地の子」が日本で放送されたことにより、日本でも有名になった。朱さんは主人公の養父である陸徳志(ルー・ダージー)を演じ、「血のつながらないわが子」に対する切々たる愛情を見事に描いて感動を呼んだ。

朱さんは数多くの舞台や映画に出演しているが、映画としての代表作としては「変臉」(1995年)や「洗澡」(99年)が挙げられることが多い。

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは編集記者を稼業とするようになり、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。同時に、経済記事や政治記事、解説記事などにも注力。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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