Record China 2018年9月11日(火) 21時10分
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中国紙・成都商報は11日、韓国の著名なサッカー記者であるイ・ソンモ氏へのインタビュー記事を掲載した。写真はソウルの日韓W杯記念館。
2002年のワールドカップ(W杯)で韓国代表をベスト4に導いたオランダ人監督、フース・ヒディンク氏が五輪世代となるU21(21歳以下)中国代表を率いることが決まったことを受け、中国紙・成都商報は11日、韓国の著名なサッカー記者であるイ・ソンモ氏へのインタビュー記事を掲載した。以下はその概要。
成都商報:ヒディンクがU21中国代表を率いるとの情報が出た時、韓国メディアの論調は「02年の韓国の成功をコピーすることはできない」というものでした。専門家として、ヒディンクの今後をどう予想しますか。
イ氏:率直に言うと、すべてのメディアがそのように評価しているわけではありませんが、一部では、ヒディンクは長期間高いレベルのクラブや国を率いていなかったことで、現在のレベルに疑いの目を向ける声もあります。
成都商報:あなたから見て、02年のW杯でヒディンクが韓国サッカーにもたらした進歩は、どの部分に表れていたと思いますか。
イ氏:「イノベーション」の一言でしょう。彼は韓国サッカーにまったく新しいサッカーの概念をもたらしました。例えば、以前のトレーニングは過酷を極め、選手が恐怖すら感じるものでした。しかし、ヒディンクは残酷なまでに厳しいトレーニングを禁じました。選手が気持ちよく感じてこそ、成長があると考えていました。また、本大会の選手選考も大きく違っていました。当時、周囲はすでに成功した選手や息の合った関係の選手を選ぶべきだと考えていました。ところが、ヒディンクはその選手に才能があるかどうかを重視しました。その結果、後に大成功を収めたパク・チソンを見出したのです。
成都商報:昨年、韓国がロシアW杯を前にヒディンクを再び招聘(しょうへい)しようという動きがあったものの、本人が断ったとの報道がありました。原因は何だったのでしょう。
イ氏:実際はそういうことではありませんでした。ヒディンクは、韓国が必要とするならもう一度韓国を率いるつもりだと言っていました。しかし、彼の代理人がこの情報を伝えたタイミングが、ちょうどシン・テヨン監督の下で韓国がロシアW杯の出場権をつかんだ時だったのです。多くの韓国人がヒディンクの再任を望んでいましたが、こういう状況では、大韓サッカー協会はヒディンクの申し出を丁重に断るしかなかったのです。
成都商報:16年が経ちましたので、この件について話してもいいでしょう。もし、審判の判定がなければ、02年W杯の(ベスト4まで勝ち進んだ)「ヒディンク神話」はなかったと思いますか。
イ氏:私は審判の助けが成功の主な要因だとは思っていません。サッカーの歴史を振り返れば、ホームチームがサポーターの声援や心理的な要素で普段以上の力を発揮するという例が数え切れないほどあります。02年の韓国の成功の最大の要因は、ヒディンクの指導と、彼が韓国にもたらした信念と情熱、夢です。(続く)(翻訳・編集/北田)
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