Record China 2018年7月26日(木) 16時20分
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21日、宝安日報は、日本のサッカー界が「100年計画」の基で地道に辛抱強く発展を続けているとするコラム記事を掲載した。資料写真。
2018年7月21日、宝安日報は、日本のサッカー界が「100年計画」の基で地道に辛抱強く発展を続けているとするコラム記事を掲載した。以下はその概要。
1998年W杯初出場を果たして以降、日本代表は毎回W杯に出場している。彼らの成功は、自国のサッカー発展のために打ち出した「100年計画」と辛抱強く実務的な態度と切り離して語ることはできない。
68年、メキシコ五輪のサッカーで日本は銅メダルを獲得し、サッカーリーグの発展は一旦ピークを迎えた。しかし、当時のリーグはアマチュアであり、国内全体のサッカーに対する関心は薄かった。90年代に入り「アクションを起こすべき時が来た」と考えた日本サッカー界はプロリーグのJリーグを設立。93年に開幕したJリーグは、今やアジアを代表するプロリーグに成長した。
Jリーグ立ち上げの際、発展し続け、国民の誇りとなるリーグとなること、国内に100のプロクラブを作るという目標が示された。そこにあったのは「スポーツにより、日本を幸せにする」という理念であり、サッカー人口を増やし、2092年までにW杯で優勝する構想も掲げられた。これがいわゆる「100年計画」なのだ。
Jリーグ発足でサッカー人気は急速に高まり、リーグ戦の観客動員数も平均2万人に届く勢いだった。さらに96年のアトランタ五輪では日本代表がブラジルを破る奇跡を演じ、日本のサッカー発展計画は順風満帆かと思われた。しかし、97年の経済危機で状況は一変。観客動員数とスポンサーが激減し、多くのクラブが経営破綻の危機に瀕した。そこでJリーグ管理者は各クラブに対し、地域に根ざしたクラブ運営を奨励するようになる。この措置が子どもや若者のサッカー普及率、観客動員増に繋がった。
その後日本サッカー界はクラブも日本代表もレベルを高め続けている。そして、今回のW杯メンバー23人中14人がアジア以外のクラブで活躍するなど、有力選手が続々と欧米のトップリーグに進出するようになった。Jリーグの進歩が代表の進歩を導いたと言え、今回のW杯で日本が素晴らしい活躍を見せたのも、決して不思議なことではないのだ。
日本が2092年までにW杯を制覇するかは未知数だ。だが、一つ言えるのはプロクラブ100チームという目標には着実に近づいていること。成功は一夜にしてはあり得ないということを日本サッカー協会はよく知っていて、それは彼らが長期的な計画を建てたゆえんでもある。辛抱強く選手の技術を磨き上げ、正しい育成方式を用いてきたことで、日本サッカーは成功し、発展を続けている。日本がいつW杯で優勝できるかは誰にも分らないが、彼らはすでにその夢へと続く道を歩み始めている。(翻訳・編集/川尻)
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