Record China 2012年6月28日(木) 12時37分
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22日、東京都内某所で井上朋子さんにインタビュー。幾多の困難を乗り越え、今なお挑戦し続ける彼女は、淡々とそして気さくな様子で中国でのエピソードを語った。
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「もし中国の雑踏で彼女と出会っても、彼女が日本人なのか中国人なのか、誰も見分けがつかないだろう。しかし、少し話をすれば、やや緊張気味のしゃべり方やしぐさなどから、彼女が日本人であることがわかる。彼女の話す中国語は非常に流ちょうで、時に生粋の北京なまりすら混じる。かわいらしく魅力的な彼女を、中国人なら誰もが好きになることだろう。
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これは、ある中国メディアが、現地で活躍中の日本人女優・井上朋子さんを紹介した記事の抜粋だ。井上さんは外国籍の芸能人としては初めて中国大手の映像制作会社と契約し、数多くのドラマや映画に出演。特に、清朝末期から戦前の1930〜40年代を舞台とした、いわゆる歴史ドラマ(中国語で“年代劇”)に欠かせない日本人女優として着実に地歩を固めている。東京に生まれ、女優として日本で順調な活動を続けてきた彼女が中国へ渡り、言葉も通じない土地で自らを試したのはなぜなのだろう?
専門学校時代から、知人の美容室などのモデルとして少しずつ活動していた。後に知人の紹介で日本の大手プロダクションと契約。NHKドラマ「盲導犬クイールの一生」や、是枝裕和監督のカンヌ受賞作「誰も知らない」にも出演。女優として順調な滑り出しだった。しかし、もともと海外に高い関心を持っていた彼女はある時、中国映画界の巨匠チャン・イーモウ(張藝謀)監督の作品を見て中国の女優にあこがれるようになり、一念発起した2006年、中国へ留学のため渡航した。上海でゼロからのスタート。
当初は1年間の語学留学と考えていたが、ここでも知人からの紹介で、ファッション雑誌のモデルをするようになり、中国の芸能界へも徐々に足を踏み入れることとなる。
ある時、雑誌に掲載された彼女の写真に目を留めたのが、2008年に放映されて話題となったドラマ「夜幕下的哈爾濱(闇夜のハルピン)」の助監督だった。これが彼女にとって大きな転機となる。同作は、中国のドラマ界では巨匠と呼ばれる趙宝剛 (チャオ・バオガン)監督の話題作。多くの役者がお金を払ってでもその作品に出演したいというほどの大御所だったが、当時の彼女はそれを知る由もない。その後、実際にチャオ監督と対面した彼女は、実はこの段階でほとんど中国語が話せなかった。かろうじて「ニーハオ」とあいさつし、監督に尋ねられるまま、「日本語では“ニーハオ”は“こんにちは”と言うのだ」と説明した。この短いやり取りだけで、チャオ監督は彼女の抜てきを決めたという。
ドラマは1930年代、日本統治下の黒竜江省ハルビンを舞台に描かれた作品。彼女は関東軍司令官の娘を演じた。スタッフと共にホテルに泊まり込み、数カ月にわたる撮影に明け暮れ、連日セリフの暗記に時間を費やした。脚本や撮影スケジュールの度重なる急な変更にも苦労した。当時を振り返ると、よくあれだけの難関を乗り越えられたなと自ら感心するほどだという。過酷なロケ現場では、風に吹かれてロケ弁に砂が混じることがよくあり、スタッフがこのことでけんかしていたことが印象深い思い出のひとつとのこと。
放送されたドラマは話題を呼び、彼女にはオファーが相次いだ。また、「中国で役者を続けるなら上海より北京の方が活動しやすい」とのチャオ監督のアドバイスもあり、これを機に北京へ転居した。日中を題材とした作品に限らず、時代劇やコメディーなどにも多数挑戦している。日中戦争を題材とした作品にしても、従来とは違い、作中に登場する日本人には人間的な描写もされるようになってきたという。
中国に渡ってあっという間に6年が過ぎた。以前は、中国在住の日本人と言えば上海に多かったが、このごろは北京にも増えている印象だ。中国人の友人から「中国語をしゃべれる日本人を紹介して」と頼まれることが多くなり、中国で日本人が求められる機会が増えていると感じる。日中間の交流がますます活発になっている実感があるゆえ、今後は日本で中国語を生かせる仕事を積極的にやりたいとも語った。(取材/RS 構成/内山・山下 撮影/譚源)
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