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<コラム>ドイツの銀行だった、旧青島日本総領事館跡を訪ねて

工藤 和直    2018年4月11日(水) 1時50分

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1915年から1945年の30年間、2度にわたって日本の統治下に置かれた青島に4万とも5万ともいわれる日本人が住んでいた。写真は筆者提供。

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1915年から1945年の30年間、2度にわたって日本の統治下に置かれた青島に4万とも5万ともいわれる日本人が住んでいた。かつて街のいたるところでは「中野町」「伊勢町」「横須賀町」「姫路町」といった日本名の道路名が名付けられ、着物を着た日本人が往来を歩いていた。昔の日本総領事館跡は青島駅から桟橋の方向に歩いて15分、太平路(旧ホーエンツオーレン通り:旧舞鶴町)と青島路(旧ウイルヘルム通り)との交差点東にあり(写真1)、目の前は青島湾で小青島が見える。この建物は1906年、ドイツの徳華銀行青島支店(ドイツアジア銀行)として建築された。徳華銀行はドイツ租借地「青島」にある実質上中央銀行の役割を持ち、通貨「青島ドル」の発券銀行であった。

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第一次日本統治時代から総領事館として運営が開始され、民政部の一部局庁舎として利用されていた。日独戦争勝利後、青島は日本の軍政下におかれ、1923年1月、行政権を中華民国政府に返還、1923年3月31日になり、青島日本総領事館として再使用した。建家はネオルネッサンス様式で円柱・アーチ・コーナーストーンを配置、1945年の敗戦までここで領事館業務が続けられた。

総領事館の敷地はかなり広く、東側の江蘇路との間に九水路があり、そこに領事館警察署があった。昭和12年(1937年)7月、盧溝橋事件に端を発した支那事変が勃発し、青島にも危険が迫った8月、時の総領事大鷹正次郎は、青島在留邦人に対し総引揚げを勧告した事もあった。(写真1)の馬車道が太平路でその前がすぐ海岸である。青島路の方向に行けば、次の交差点(広西路)でドイツ領事館になり、その奥に重厚なドイツ総監府(その後日本軍司令部)がある。また、現在は迎賓館となっているが、信号山公園全体を占めるのが当時青島最大の豪邸であった総監官邸(その後日本軍司令官邸)である。黄色の壁に剥き出しの花崗岩造りの豪邸である。総監府建物内にドイツ時代の説明はあるが、日本軍司令官宅であった事は記載されてない。

現在、日本総領事館は民家となっている(写真2)。北側の広西路から内部に入ることが可能である。太平路側の玄関から入ると、床はタイル張りで内部に吹き抜け階段があり、天井にステンドグラスが貼ってあった(写真3)。ここで領事館業務をしたのであろう。北隣には日本民家らしき家も見られた。また、東側に山東鉄路鉱路公司(広西路14号)があった(写真4)。1902年ドイツは「租借条約」によって膠済鉄道敷設権と鉄道線路両側15キロメートルの採掘権を得たが、その開発のためにドイツが作った会社をそのまま日本が引き継いだ。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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