Record China 2007年2月19日(月) 18時56分
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1997年2月20日のトウ小平逝去から10年。当時のロイター通信社中国支局による報道は、このような舞台裏があった。20世紀の中国政界の最高実力者にまつわるエピソードは、時代が変わっても語り継がれていくことだろう。
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トウ小平没後10周年を迎える2007年2月19日。レコードチャイナでは、ロイターが中国の国家通信社である新華社に先駆けて「トウ小平逝去」を報じた、その舞台裏を紹介する。
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1997年2月18日、独自のルートから「トウ小平(とうしょうへい)危篤」の情報を得たロイター・中国支局の馬珍(マー・ジェン)記者は、世界各地のロイター記者を北京に集め、取材活動を開始した。記者たちから馬記者の元に次々と届けられる情報は、すべて「トウ小平、死亡」を裏付けるものだった。
ロイターの北京記者代表である馬氏は、ニュース配信の決定権を持っていた。しかし、「トウ小平逝去」というニュースは、中国にとって重大な意味を持つもので、ロイター上層部からは、必ず、中国の国家通信社である新華社に確認をとってから報道するように、との事前の指示があった。ニュース速報を流すべきか待つべきか、馬氏は悩んだ。ロイター上層部に電話で判断を求めた馬氏に対して出されたのは―、「判断を任せる」という指示だった。
その時、99%の自信を感じていた馬氏。しかし、間違いは絶対に許されない。馬氏が判断を下すのを、北京にいるすべてのロイター記者・カメラマンが待った。そして、世界中がその一報を待っている。しかし、新華社のニュース配信機は未だ沈黙を守っている…。
1997年2月20日午前2時42分ごろ、「トウ小平逝去」という速報が、馬氏の指示によってロイターから発信された。一歩遅れて、新華社による配信も始まった。
※ロイター通信社は、当時どこよりも早く「トウ小平逝去」報道を世界中に発信した。その舞台裏には、このような事情があったのである。
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