東アジア今日は何の日:10月1日~中華人民共和国が成立、ただし大陸部に国民党勢力も残存(1949年)

如月隼人    2019年10月1日(火) 11時40分

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1949年10月1日、毛沢東は北京市中央部の天安門上で、中華人共和国の成立を宣言した。しかし、同時点で共産党と戦った国民党勢力が大陸から完全に駆逐されたわけではなかった。写真は天安門。

1949年10月1日、毛沢東は北京市中央部の天安門上で、中華人共和国の成立を宣言した。日本が第二次大戦に敗北した直後の1945年10月に本格化した国共内戦(第2次)での中国共産党の勝利はほぼ確定していたが、同時点で国民党勢力が大陸から完全に駆逐されたわけではなかった。

日本との戦争に勝利した結果、国民党と共産党の間での内戦勃発を懸念する声が高まった。米国が仲介して蒋介石と毛沢東が重慶市内で会談し、1945年10月10日に協定を結んだ。いわゆる「双十協定」で、あくまでも内戦を避ける両党の意志が確認された。

しかし、すでに発生していた局所的な戦闘は激化・拡大する一方だった。米国は国民党の腐敗しきった内部事情をよく知っており、国民党側の戦争遂行能力に疑問を持っていた。また、逆に共産党が軍事的に追いつめられると、中国の内戦が米ソの代理戦争になりかねないと危惧していた。

そのため、米国はしばしば国民党と共産党を調停しようとした。国民党と共産党も複数回にわたり自軍に対して停戦令を出したが、内戦はとまらなかった。交渉も繰り返されたが、まとまらなかった。

当初の戦力は国民党側が約430万人で、共産党側は約120万人だった。戦力で国民党は共産党を圧倒しており、1947年3月には共産党が根拠地にしていた延安を攻撃。共産党は延安を放棄した。しかし、毛沢東は国民党軍を山岳部に誘導し、5月から6月にかけて国民党軍8万3000人を殲滅した。

共産党軍は、国共内戦の三大戦役と呼ばれる遼瀋戦役(東北地方)、淮海戦役(山東省南部、江蘇省、安徽省北部)、平津戦役(北京、天津)などにいずれも大勝した。1949年6月には、国民党側の兵力は約149万人にまで減少し、共産党の兵力は400万人にまで膨らんでいた。

共産党軍は49年4月23日には南京、5月16日には漢口、同月20日には上海、6月12日には青島と、主要都市を次々に占領していった。また、1947年7月には最初の少数民族自治区として内モンゴル自治区を成立させていた。

毛沢東が1949年10月1日に中華人民共和国の成立を宣言した時点で、国民党は華南地方と内陸地方である西南地方をまだ支配していた。しかし、共産党の「雪崩式大勝利」を押しとどめるのは、不可能な情勢だった。

49年10月14日には広州が、11月30日には重慶が、12月27日には成都が陥落した。共産党側は1950年春までには新疆の全域を占領。さらに50年4月7日には現在の四川省西部の西昌を支配下に置いた。これで、中国大陸部から国民党勢力はほぼ駆逐された。国民党は1949年12月7日付で、台北を臨時首都とした。

ただし雲南省とビルマ・ラオスの国境地帯では1960年ごろまでゲリラ戦が発生した。国民党元兵士の一部はタイ北部に移動して麻薬の製造や密輸を財源としていたが、1972年にはタイ王国軍に帰順して共産ゲリラの掃討作戦に参加するようになった。ゲリラ掃討作戦の終了後は武装解除され、タイ政府から居住権を与えられ、観光業や農業に従事するようになったという。

島嶼部については、海南島が1950年5月1日には中華人民共和国の支配下に入った。また、同年5月16日には舟山諸島が、8月4日には万山諸島が共産党軍に占領された。また、人民解放軍は1950年から51年にかけてチベットに侵攻し、ガンデンポタン(チベット政府)関係者に17カ条を締結させることで、現在のチベット自治区を中華人民共和国の一部に組み込んだ。ただしガンデンポタンは同時点では機能を維持し、チベット人による「独立的自治」はしばらく存続することになった。

中国の周辺では、1950年6月に北朝鮮軍の侵攻により朝鮮戦争が始まった。米軍を中心とする国連軍の参戦で北朝鮮が著しく劣勢になると、中国は同年10月19日に「中国人民志願軍」の名義で参戦した。

米国は台湾に逃れた国民党政権を見放すつもりでいた。トルーマン米大統領は1950年1月、「台湾不干渉声明」を発表した。中国人民解放軍が台湾に侵攻しても米国は介入しないとの意思表示だった。

しかし朝鮮戦争が勃発すると米国はただちに第7艦隊を台湾海峡に派遣した。米国は朝鮮戦争で共産主義勢力の脅威を改めて痛感し、「台湾防衛は自国にとって不可欠」と考え方を転換した。このことが、台湾海峡両岸の「政治地図」を長く固定することにつながった。

【1949年のその他の出来事】

・法隆寺金堂の壁画が焼失(1月)

・中国人民解放軍が北京に入城(1月)

・大阪で「スポーツニッポン」が創刊(2月)

・学制改革により東京物理学校が東京理科大学になる(4月)

・中国人民解放軍が中華民国首都の南京を占領(4月)

・中華民国が台湾全体に戒厳を施行(5月)

・ドイツ連邦共和国(西ドイツ)政府が発足(5月)

・北朝鮮労働が南朝鮮労働党を事実上の吸収、朝鮮労働党に(6月)

英国で映画「第三の男」を公開(9月)

・ソ連がカザフスタンのセミパラチンスクで初の原爆実験(8月)

・ドイツ民主共和国(東ドイツ)が発足(10月)

・京都市内で和江商事株式会社(現、ワコール)創立(10月)

・お年玉付き年賀はがきが登場(12月)

・湯川秀樹が日本人として初めてノーベル賞(物理学賞)を受賞(12月)

・韓国軍が共産勢力に協力したなどとして非武装の住人88人を殺害(聞慶虐殺事件)(12月)

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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