光緒帝の副葬品200点、70年前に盗掘被害―河北省保定市

Record China    2008年12月4日(木) 21時36分

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2日、最新の科学技術で死因が「急性ヒ素中毒」であることが判明したばかりの清朝第11代皇帝・光緒帝の墓が、70年前に墓泥棒の被害に遭い約200点の副葬品が盗まれていたことが分かった。写真は光緒帝が眠る河北省易県の「崇陵」。

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2008年12月2日、最新の科学技術で死因が「急性ヒ素中毒」であることが判明したばかりの清朝第11代皇帝・光緒帝(1871〜1908)の墓が、70年前に墓泥棒の被害に遭い約200点の副葬品が盗まれていたことが分かった。北京晩報が伝えた。

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光緒帝と隆裕皇后が眠る「崇陵」は、帝の死後6年目の1914年に完成した。清朝の慣わしでは皇帝は即位後まもなく自らの墓作りに着手するが、光緒帝の場合は当事実権を握っていた西太后がそれを許さなかった。だが1908年に帝が亡くなると、まもなく西太后も死去。そこで翌年の1909年、帝の弟で「ラストエンペラー」 愛新覚羅溥儀(宣統帝)の父、愛新覚羅載[シ豊]が建設を指示。1911年の「辛亥革命」で清朝は崩壊したが、袁世凱が建設の続行を認めた。墓の東には光緒帝が愛した珍妃と姉の瑾妃も眠っている。

この光緒帝の「崇陵」が墓泥棒に荒らされたのは1938年。帝と皇后の棺を壊し、中から副葬品およそ200点が盗まれた。副葬品の目録が記されている「万年吉祥帳」で確認された。「崇陵」に墓泥棒が入ったのは、この1回限りだという。(翻訳・編集/NN)

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