光緒帝毒殺の犯人は誰だ?皇帝の末裔招き検証―河北省

Record China    2008年11月16日(日) 7時22分

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14日、死因はヒ素中毒と先日判明した清朝第11代皇帝・光緒帝。その死について一歩踏み込んだ研究発表が、光緒帝の血を引く愛清覚羅家の末裔を招いて、河北省の清西陵で行われた。写真は頤和園に飾られる西太后・慈禧の肖像画。

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2008年11月14日、清朝第11代皇帝・光緒帝の没後100周年のこの日、国内の著名な歴史研究家が河北省易県にある世界文化遺産・清西陵に集まり、その死因がヒ素中毒によるものと判明した光緒帝の死の謎について、さらに一歩踏み込んだ考察と論証が行われた。「中国新聞網」が伝えた。

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今月2日、清西陵文物管理処と中国原子能(エネルギー)科学研究院などの専門機関が合同で調査した結果を発表。最新科学技術を駆使し、それまで謎とされていた光緒帝の死を「急性胃腸性ヒ素中毒」によるものと断定。14日、光緒帝が眠る清西陵で検討会が開かれ、光緒帝を毒殺した犯人について専門家が意見を交換した。

国家第一歴史档案編研室主任の李国榮(リー・グオロン)研究員は「光緒帝が支持した『戊戌の変法』は失敗に終わったが、中国近代史上初の政治改革であり、その後の中国の発展を促進する重要な作用をもたらした」と発言。中国中央電視台(CCTV)主任編集者の鐘里満(ジョン・リーマン)氏は「当時の状況から考えると、慈嬉太后(西太后)の指示あるいは命令なしに光緒帝を毒殺しようとする人間がいるとは考えられない」と述べた。

検討会には光緒帝の弟・醇親王載[シ豊]の孫である愛清覚羅リュウジャン氏をはじめ、清皇室の子孫も出席。専門家らの発表を興味深く聞いていた。(翻訳・編集/本郷)

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