如月隼人 2017年10月18日(水) 5時20分
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「中国人は衛生概念が日本人より劣る」と考える日本人は多いだろう。しかし、そう簡単に結論づけるだけでよいのか。そう疑問に思いつづけてきた。資料写真。
日本を訪れた中国人の多くが、街の清潔さに驚く。SNSに「道にごみが落ちていない。そんなことはあるまいと思っていたが本当だった」といった書き込みも珍しくない。逆に日本人が中国に行くと、「汚い場所があるなあ」と思うことは多い。しかし、そのことから単純に「中国人は衛生概念が日本人より劣る」と結論づけるだけでよいのか。そう疑問に思いつづけてきた。
中国人の衛生概念に初めて気づいたのは、1980年代に中国のある地方都市を訪れた時だった。現地の大学に関係する訪中で、日本からのメンバ−はある日、食事に招待された。格段に高級な店ではなかったと記憶している。驚いたのは、着席した先方の大学の先生らが一斉に、紙ナプキンで箸をごしごしと拭き始めたことだった。さらに、自分の取り皿に酢を入れた。酢を床に捨てて、やはり猛烈な勢いで取り皿を紙ナプキンでぬぐった。
たまたまA型肝炎が流行していたのでとりわけ神経質になっていたこともあったようだ。しかし、中国人の「衛生概念」を改めて知る機会は、その後も多かった。
はたまた古い話題で恐縮だが、今から15年あまり前、中国情報を扱う週刊新聞で仕事をしていたことがある。日本語版の編集部員は日本人だったが、中国語版担当の中国人編集者や営業担当の中国人職員もいた。あるとき、「洋式便器の使い方」が話題になった。
日本人の1人が「中国人は洋式便器を使う際に便座に腰をおろすことを嫌がり、便座の上にしゃがんだり、中腰で腰を浮かせて用をたす。なぜだろう」と発言した。
中国人職員は「当たり前のことだ」と全員が主張。自宅のトイレなら別だが、だれが使ったか分からぬ便座の場合、病気に感染するリスクがあるとの説明だった。「便座にティッシュなどを敷いて使えばよいのでは」と尋ねたが、「それで感染が防げるかどうかは不明。病気になってひどい目に遭うのは自分」との主張だった。
話題は「伝染病から自らをどうやって守るか」に転じた。私は「中国人は自国の衛生事情を信じていないということか」と発言した。「そういうことではない」と発言した人がいた。中国語版編集長だった。極めて優秀な男で、日本に来る前にフランスに国費留学した経験があった。
フランスに到着した際、手違いがあってすぐには大学の寮に入れなかった。そのため、10日あまりホテル暮らしをすることになった。ホテルの部屋にはバスタブがあった。彼は考えてしまったという。「伝染病の心配はないのか」と。
中国人は日本人に比べれば「湯舟につかる」ことに対する愛着は少ないが、それでも全身を湯に浸す快感は知っている。そしてバスタブの利用も宿泊料の一部だ。だからみすみす放棄するのも癪だ。彼は「フランスは中国に比べれば先進国だ。衛生管理についても質は高いだろう。しかし、万が一にでも病気になったら損をするのはこの自分」と考えた。
そこで、街に出て洗剤とスポンジを買い求め、自分が納得できるまでバスタブを清掃した。それからは毎日、優雅なバスタイムを楽しんだという。
ちなみに2016年10月には、江蘇省常州市で使用中の便器が爆発して男性が重傷を負ったというニュースがあった。同爆発では、男性が便器に腰かけず上に乗ってしゃがんでいたことが分かった。砕けた陶器に腰から落ちたことも、大けがの一因と見られている。
といったこともあり、中国人の衛生管理概念に興味を持ちトイレの使用法や風呂桶の利用については、折あるごとに中国人に質問した。かなりの年月が経過したが、あまり変化はないようだ。先日もある中国人から、「教養のある人ほど神経質になる」と聞いた。
「知識が豊富な人は、伝染病にも関心がある。リスクがあると認識しているので用心する。知識のない人は、それほど心配せず無神経な場合も多い」とのことだった。
日本ではどうだろう。洋式便器が普及しはじめた時代には、やはり便座に腰を下ろすことを嫌がり、上にしゃがんで用を足すひとが珍しくなかったという。すると、「教養や知識のある人」から、「洋式便器は正しく使うべきだ」との意見が出た。たしか、伊丹十三氏もエッセイでそんなことを書いていた。
つまり、中国人の間では「教養」というものが「自らの身を守る」ために、日本では「ルールを守る」ために発揮されたことになるのではないだろうか。
バスタブの場合はどうだろうか。あまりにもみすぼらしい、あるいは胡散臭い宿泊施設なら別だろうが、「世間的に一定の評価がある」と判断できる場合なら、バスタブの湯につかることに神経質になることは少ないのではないだろうか。衛生面については世間的な評価を信頼しているとも言える。
個人差があるのはもちろんだが中国人の場合一般的に、評価されている施設などに対しても、「最終的に判断し、最終的にリスクを負うのは自分」との発想が相当に強い。
こういった傾向には、中国人が経験してきた「厳しい社会環境の歴史」が関係しているようだ。最終的に自分を守るのは自分という考え方だ。
自分自身を含めて、日本人はさまざまなことを素直に信じてしまう傾向が強いように思える。もちろん、成熟度が高い社会で暮らすことに慣れたているため、他者や周囲をそれほど疑う必要のないことは事実だろう。
ただ、「周囲が信じるから自分も信じてよいだろう」程度の安直な姿勢には疑問も感じる。「判断を誤った場合、損をするのはこの私」との考えは、もう少し強く持っていてもよいのではないか。
他者をあまりにも疑ってばかりいたのでは社会がギスギスしてしまう。しかし、日常生活におけるリスクにあまりにも無神経になってしまったのでは、社会全体で何か大きな「やばいこと」が進行している場合などにおける「批判の目」も曇ってしまうのではないか。
中国について言えば、他者をもっと信頼できる社会を作る努力が必要だろう。日本は逆に、日常生活の面からも批判と評価の精神を意識すべきではないだろうか。平凡なようだが、中国人の衛生概念についてのウオッチングを続けていて、強く思うようになった。
■筆者プロフィール:如月隼人
日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。
1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。 Facebookはこちら ※フォローの際はメッセージ付きでお願いいたします。 ブログはこちら
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