<コラム>日中お墓事情、多様化の日本と伝統概念が根付く中国

茶妹小丸子    2020年3月31日(火) 22時40分

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日中で異なるお墓事情。日本では多様化が進み、中国では伝統概念が根付いている。写真は日本。

月曜日と水曜日にある年配の中国人女性が相談に来ました。月曜日に来た時は、ご主人(日本人)が駅で倒れて救急車で運ばれて病院に入院したが、既に手遅れの状態で脳出血と診断され、医師からは今日明日の命だと言われたと話していた。ついては葬儀の準備をしたいが自分は日本語が余り上手ではないし、どこに連絡したら良いのかわからないので、葬儀屋に心当たりがあれば代わりに電話して聞いてほしいと言うので、3件電話したが、今週はいっぱいということと奥様が外国人で日本語が話せないと話したからかは不明だが、断られてしまった。葬儀をしたら役所でどんな手続きが必要なのかなどを聞いてきたので、まず、「葬儀社を使うのと市の斎場で簡素に済ますのでは自分で行う手続きは違って来ますよ。もし葬儀社に頼んだ場合は葬儀社が市役所に代わりに行ってくれて手続きを済ませてくれますし、市の斎場に頼めば手続きは自分でやらなければいけませんよ」と説明した。幸いにも日本語が話せる友人が一緒に来ていたので、この友人にも話しました。

そして、二日後にこのご婦人が再度来ました。「あれからどうしましたか?」と聞いたら、「月曜日にこちらに来た後の夜に主人は亡くなりました」とのことだった。「今日はどんなご用件ですか?」と訪ねたら、死亡診断書を持参されていました。この方はこれをもらったのだがどうすればいいか聞いてきました。よく見てみると死亡届のコピーでした。コピーということは火葬も済んでると認識したが、もう一度よく聞いてみると、「あなたがあの時に葬儀屋ネットを教えてくれた後に、友人が私の代わりに探してくれて、簡素に葬儀を執り行った」と言いました。「それなら葬儀屋が市役所に死亡届を出しているはずですよ」と話したら、ご婦人は「よくわからないのでこの名刺の人に電話して聞いてくれないか?」と言うので、私はすぐに電話をして聞いてみたら、やはりもう役所での手続きを済ませてくれていて、埋葬許可証も取り寄せてくれました。この事を話すと安心してくれました。

そして、次は骨壷の安置のことの相談でした。この方は「主人は私と結婚する前に会社をやっていて借金もあるようだし、財産なんかろくにないし、主人が定年後は私が働いて生計を立てていたからお墓を買うお金がない。主人の実家近くの霊園だったかお寺だったかに一度行ったことがあるけど、どこにあるか全く記憶にない。自宅には主人と主人の母親の骨壷もあるので、この実家近くの館山に納骨したい」と話していた。ところがこの方はご主人の父親の墓がどこにあるのか、寺にあるのか、寺にあったら何というところか、全くわからないというので、私は「きっとご主人の遺品の中にこの実家近くの墓に関する書類がどこかに絶対にあるはずなので、家に帰ったらゆっくり探してみてはどうですか?」と話した。

そして、このご婦人は「骨壷を預けることができるところはないか?」と私に聞いてきた。「大きな骨壷が家にあると場所を取るし、家に骨壷があるとなんだか怖いわ」と言っていた。私は「今日本ではいろいろな方法が出てきているのですが、遺骨を粉にして、小さな陶器の入れ物に入れてくれる会社もありますよ」と説明した。

私は市の霊園には預かるところがあるのを話した。そしてこの方の希望で市の霊園管理の事務所に連絡をしてほしいとのことで電話をして、手順などを聞いた。市の霊園には5年間限定で1カ月6000円程の費用がかかるが遺骨を預かるシステムもあるし、私の父の遺骨が安置されているロッカー式の安置所もある。費用は骨壷1つ7万円だ。ただし、これは抽選になり、当たらないと買うことができないし、置いておける年数は最大20年だ。

この話をご婦人に話すと「どっちにしても自分で手続きに行かなくてはだめなのよね?私の日本語能力ではできないわ」と言うので、私は「今日一緒に来てくれているお友達が日本語ができるようですからお友達にお手伝いしてもらったらどうですか?」とお友達にも促すように話したら、お友達は「了解!大丈夫!」と私に言ってくれました。

そして、ご婦人は再び「遺骨を、それも2つも自宅に置いておくのはなんだか怖いわ。だって自宅に私一人だけなんですもの、どうしよう」と不安な顔で言うので、私は「何が怖いのですか?私の父はお墓はいらないと生前に言っていたので墓がないですよ。一部の遺骨を除いては先程説明して書いてお渡ししたロッカー式の場所に安置してありますし、一部の遺骨は家の仏壇に置いてありますが、全然怖くないですよ。いつも父が一緒にいるような感じですし、私たち家族は全然怖いだなんて思ったことないですよ」と話したら、不思議そうな顔をしていた。更に私は「あなたがお家で一人だと言うなら、二人が貴方を見守ってくれるんですよ。そう思えば怖くなくなりますよ」と話した。

実は過去にもこの遺骨の置き場所や市営霊園の墓の申し込みの相談があった。来たご婦人はやはり中国人の老婦人だったが、亡くなったご主人は残留孤児だったという。申込用紙に記入する段階になり、老婦人のところに電話がかかって来た。何やら不穏な感じになっていた。そして、このご婦人は私に「娘からの電話なんだけど、私の代わりに話してくれないかしら?」と言ってきた。

私は状況がよくわからず、「私があなたの娘さんと何を話せばいいんですか?」と聞くと、老婦人はとにかく電話に出てほしいと懇願するので、電話に出た。娘さんは日本での生活が長く、すっかり日本人と変わらない日本語能力だった。娘さんが私に話してくれたのが、「今日母が勝手に市役所に行ってしまい、更には家族で話し合っても母親はいつも意見が違う。私たち子供と母とは意見が違っていて、もともと死んだ父は日本人なのだから、納骨は父の故郷の青森にすれば良いと言ってその時は母も承諾したのだが、そちらに言って母が何を話したのかわかりませんが、今度は母は父の遺骨は中国に墓を買って埋葬したいと言い出したりして家族で揉めています。だから母の話はまともに聞かないでください!」と私に話して電話を切った。

まともに聞かないでくださいと私に言われても、どう対応すればいいのかと苦慮してしまったので、私は自分の父親の例を出し、「こうした問題はご家族でよく話し合う必要がありますので、手続きはご家族で皆さんの意見が一致してからまた来てください」と話したら、老婦人は「墓はいつ買えるかわからないし、それまで遺骨を家に置いておくのはなんだか怖くて嫌だわ!」と上の例のご婦人と同じことを言っていた。

当時も私はこの老婦人に今回と同じことを話しました。「怖いことなんてありませんよ。側に置いておけばご主人と毎日一緒にいることができますし、ご主人がいつもあなたを守ってくれますよ」と話をしたら、老婦人は「それでは故人が成仏できない」と言うので、それを言われてしまうと私は宗教家ではないのでそれ以上のことは言えなくなり、とりあえず家族でよく話し合って、結論が出てから市の霊園に申し込むとなったらまた来てくださいと話して帰ってもらった。

この2つに共通しているのが、未亡人が二人共中国人で、骨壷を自宅に置いておくことが怖いと言ったこと。怖いと言うよりも不気味さの方が増していると言える。なぜ不気味な感じで怖いと思ってしまうのか?それはおそらく中国と日本では火葬の仕上がりが違うからだ。

中国の火葬はほとんど灰になるほど火葬するが、日本はもろに骨の形がわかるように火葬する。そして日本も今でこそお墓のあり方が多様化しているが、中国ではまだまだ火葬したら七尾と呼ばれる日本の初七日に当たる日に家族で集まり弔いをしたり、日本での49日に当たる中国の習慣の日数に墓に納骨するのがまだまだ一般的で伝統的なやり方が根付いている。

中国では昔から一般に故人が亡くなってから計算して37日、57日が重要なこととされていて、家族親族友人が来てお金に例えた紙を燃やし、故人を送り出す。中国では49日になる前に故人が一度残された遺族の元に帰って来ると言われているので、この時に蝋燭をつけて故人が成仏できるように皆で見送るのだそう。

これが中国での都市での一般的な火葬と葬儀の習慣だ。日本のようにお墓を作らない、遺骨を粉にして小さな入れ物に入れて自宅に置いておくという概念は今の中国にはまだないに等しい。お墓に納骨すれば故人が安心して成仏できると信じている。

大都市以外の地方の田舎の都市ではまだ土葬などの習慣があるそう。そして、チベットは“鳥葬”と私たち日本人は呼んでいるが、鳥に亡骸を食べさせて始末をさせて自然に返すという概念と習慣も根付いている。北京の友人はこれを“自然葬”と表現していたが、正に死んだら自然に返す、日本で言うところの土に還るという概念と似ているのかもしれないが、どうも亡骸を鳥がつついて始末させるというのを想像するとなかなか受け入れ難いところがある。テレビでも見たことがあるがやはり目を覆いたくなるような光景だった。死生観に関しては国により、文化により違うということが改めて分かる。

そして、数日前にウイチャットで再び北京の友人に中国の葬式やお墓事情を聞いてみた。そうしたら友人が現在中国の大都市では基本火葬で、一般的に中国人は骨壷を自宅に置くという概念はないので、納骨する日が来たら納骨をするのだそう。

そして、親が死んだら子供が親の為にお墓を買う、子供が数人いたら皆でお金を出し合って親の墓を買うのが中国における子供の立場での最後の親孝行の証だそう。

最近は大都市ではデジタルお墓なるものが出現しているそう。これは最近の日本と同じだ。そして、中国でも本来は親が死んだら親の生活していた所にお墓を買うのが一番良いのだが、中国でも核家族化という事情のある家庭では子供が住んでいる都市や住まいの地域の側にお墓を買う傾向にあるという。友人の話だとやはり実家が遠いと墓の管理や、両親の墓参りに行くこと自体が大変なのが理由だそう。だからお墓を買わないで家に置いておくという考えや概念はないそうです。

もしかしたら、遺骨を家に置いておくと過去の映画ではないが“キョンシー”のような人物?が枕元に出てくるのを想像してしまうのか?とも思った。

今の日本は少子化故にお墓の存在意義が改めて問われている。一人っ子の子供が親から独立し、結婚し、子供を産んでも一人っ子が多いから、それが代々死んでお墓を作っても墓の数ばかり多くなり、子供が女の子であれば嫁ぎ先の墓に自分も入るだろうから実家の墓は墓守がいなくて風化してしまう。更にはお寺の墓に埋葬しているとお寺から何かと金銭を要求されて残された子供には負担になり、今ではお寺にお墓を作ろうという人が減っていると聞いている。そこで今の日本ではデジタルお墓だの、遺骨を粉にすることや、遺骨の一部を使っていつでも肌身離さず一緒にと故人の遺骨でネックレスにしたりと多様化が始まっている。

現在日本は火葬した後に墓をどうする?などの問題が取り沙汰されるようになった。それは少子化に伴うことも要因だし、残された家族の負担を考えるようになったことも1つの要因だと思われる。

そして、中国も想像するに数年後や十数年後には日本と同じような問題にぶち当たるかもしれない。それは80年代に中国共産党が行った一人っ子政策だ。今でもそれは続いてはいるが、この数年で政策が変わり、条件などがあり二人目を産んで良いことになった。しかし、今でこそ一人っ子は減少しつつあるが、特に都会で暮らしている人間にしてみたら都会は物価が高くて暮らしも大変だから結局一人っ子でいい!と言っている中国人が結構いた。よって、こうした一人っ子の子供が将来結婚し、また生んだ子供が一人っ子が続けば必ずや日本と同じお墓の問題が浮上すると思われる。

と、北京の友人にこの問題を投げかけてみたら、友人は中国もいずれこうした問題にぶち当たると思うと言っていた。

そうなるとお墓に入れないと成仏できないという科学的にもよくわからない、宗教の世界観が根付いていた中国の概念も変化せざるを得なくなる日が数年後か十数年後に来るかもしれない。

だから遺骨を家に置いておいたらキョンシーのようなものが枕元に来るかもしれないと信じているような人の考えは段々なくなるかもしれないし、中国もいずれは日本と同じ多様化を求められる日が来るかもしれないと感じた。

1つだけ言えることは遺骨をお墓に入れても入れなくても、家に置いていても、ちゃんと死者を弔っていけばキョンシーのような者は来ないのである。だから怖くないのであります。

■筆者プロフィール:茶妹小丸子

1967年生まれ。千葉県出身。中国浙江省杭州大学(現浙江大学)漢語進修コースに1年留学。広西チワン族自治区外貿公司駐日本代表事務所に5年の勤務、上海に4年間駐在した経験を持つ。バリバリのキャリアウーマンでもない、半分パートタイムで半分専業主婦が30年間自分の目で見て聞いた事を日本の皆さんに紹介できたら!と思っている。

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