<羅針盤>「赤は赤」「青も青」=日本人の交通マナーの良さ、欧米人には不思議?―立石信雄オムロン元会長

立石信雄    2017年3月5日(日) 11時0分

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欧米の人たちと京都の四条通りを歩いた時のことである。街は碁盤の目のように細い道が交差している。信号が赤になって、歩いていた人たちが急に立ち止まった。全然車が走ってくる様子もないのにである。すると彼らが「なぜ渡らないのだ」と聞くのである。

欧米の人たちがいつも感心するのは日本人の交通マナーの良さである。

京都の四条通りを一緒に歩いた時のことである。京都の街は碁盤の目のように細い道が交差している。道幅3メートルほどの一方通行の道で、信号が赤になって、せわしなく歩いていた人たちが急に立ち止まった。全然車が走ってくる様子もないのにである。すると彼らが「なぜ渡らないのだ」と聞くのである。そう聞かれるとこちらも困ってしまう。「信号が赤だから渡ってはだめなのだ」としか言いようがない。するとすかさず、「機械に管理されてもストレスを感じないのか。自分たちにとって信号はただの目安で、自分のリスクで歩くのだから、干渉されたくない」と話していた。

 

以前、米国で自動車のシートベルトの装着を義務付けた時に相当の反対があった。事故に遭って死のうが死ぬまいが、それは個人の自由で、法律でそんなことまで縛られるのはいやだというのがその理由だった。

どちらの考え方が理にかなっているかはわからない。ただ、信号通りに歩行する日本人がニューヨークのブロードウェーや五番街などでとまどう様子をよく見かける。信号に関係なく横断する人たちに混じって、日本人の団体だけが渡ろうか、渡るまいかと横断しかけては後ずさりしているのである。道の渡り方にもノウハウがあり、慣れも必要であるので、信号通りに歩くのが一番安全であろう。

中国の大都市の交通事情はもっとひどい。すごい数の歩行者、自転車、牛車、耕運機が入り乱れている中を、自動車がけたたましく警笛を鳴らしていく様子は、自動車に乗っていて怖くて目をつぶってしまうほどである。まさに交通ルールとマナーを今から作り、教えていく段階なのであろう。

ことほどに、交通事情もそれぞれのお国柄があって面白い。

 

立石信雄(たていし・のぶお) 1936年大阪府生まれ。1959年同志社大学卒業後、立石電機販売に入社。1962年米国コロンビア大学大学院に留学。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員会委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長、財務省・財政制度等審議会委員等歴任。

北京大学日本研究センター顧問、南開大学(天津)顧問教授、中山大学広州)華南大学日本研究所顧問、上海交通大学顧問教授、復旦大学顧問教授。中国の20以上の国家重点大学で講演している。

■筆者プロフィール:立石信雄

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。

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