人民網日本語版 2017年1月19日(木) 0時40分
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日本でバレエの講師を務める張縁睿さんは、2004年に日本最高峰の「こうべ全国洋舞コンクール」のクラシックバレエ男性シニア部門で優勝した。
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日本でバレエの講師を務める張縁睿(チョウ・エンルイ)さんは、2004年に日本最高峰の「こうべ全国洋舞コンクール」のクラシックバレエ男性シニア部門で優勝した。また、張さんの教え子も数々の賞を受賞しており、今ではロシア、パリ、ニュージーランドなどで活躍する生徒もいる。そんな張さんの今の最大の願いは、舞踊を通して、出身地である中国重慶と日本の文化交流を促進することだ。(文:楊野。重慶晨報掲載)
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▽いとこの姉の影響で舞踊の道に
張さんは小学校5年生の時に、重慶芸術学校で民間舞踊を習い始めた。そのきっかけになったのが張さんのいとこの姉だという。
「子供の頃、僕はいとこの姉の家で育った。いつもいとこの姉と遊んでいた。その後、いとこの姉が北京舞蹈学院に入学した。いとこの姉の影響で、僕も9歳の時に重慶市歌舞団に入った」と張さん。
それからというもの、毎朝6時半に起きて練習し、7時に朝ごはんを食べる生活で、家に帰れるのは1週間に一度だけ。それでも、張さんはあきらめることなくそれを続けた。「初めはいとこの姉が勉強しているからという理由だけで舞踊を習っていたが、その後舞踊が本当に好きになった」と張さん。
▽目標を見失いかけた大学時代
1995年、13歳だった張さんは、中国北京舞蹈学院に入学。思いがけず、バレエを専門に学ぶよう振り分けられた。「重慶で民間舞踊を習っていたのに、同学院に入学して民間舞踊の教室に行くと、僕の名前がなく、唖然とした」。バレエをマスターできるのか不安はあったものの、入学してしまったため、後戻りすることはできず、仕方なくやってみることにした。
入学したばかりの時、教師に「舞踊を勉強している目的は?」と聞かれ、同級生たちは「優秀な舞踊家になりたいから」と答えていたものの、張さんだけはそのように答えることはできず、「いいダンサーになりたい」と答えていたという。
卒業後、張さんは仕事が見つからず、する事も特になかったため、気晴らしにと、いとこの姉が住んでいた日本の大阪に行った。その時に、バレエの分野では日本最高峰の「こうべ全国洋舞コンクール」が開催されることを知ったという。
張さんは、遊び感覚で同コンクールの参加を申し込み、なんと3位に入賞した。当時、男性部門に参加していた中国人は張さん一人だけだった。その時、張さんは、自信と勇気を持つことができるようになり、日本でキャリアを積んでみたいと思うようになった。
中国に戻った張さんは、広州舞蹈団で1年働き、その時にある先輩講師に出会った。暇を見つけては舞踊を教えてもらい、ある時、その先輩が中国のバレエ界では名を馳せたダンサーであることを知った。そして、普段めったに見ることができない舞踊の資料も見せてもらい、そこから多くの啓発を得たという。
▽こうべ全国洋舞コンクールで念願の優勝
02年、張さんは再び来日し、いとこの姉の夫が開いている大阪田中バレエ・アートに所属するようになった。当時、イベントなどもあまりなく、毎日練習場と家を往復し、朝から晩まで練習に励む生活を送っていた。翌年、張さんはOSAKAプリコンクールに参加し、J1部で優勝した。その後も、東京や名古屋、神戸などでコンクールに参加し、次々に優勝した。その時、張さんは心の中で、「3位に終わった『こうべ全国洋舞コンクール』に必ずまた参加する」と闘志を燃やしていた。
そして、04年、張さんはついにそのコンクールで優勝。コンクールに頻繁に参加して賞を受賞していたため、その業界で張さんは知名度を上げ、多くの学校や東京の団体から出演依頼が届くようになった。
現在、張さんは講師として生徒にバレエを教えるようになっている。その教え子も数々の賞を受賞し、今ではロシア、パリ、ニュージーランドなどで活躍する生徒もいる。張さんが教えるクラスには中国人の生徒もいる。張さんは、出身地の重慶と舞踊アートの分野での交流をしたいという願いを抱き続けている。(提供/人民網日本語版・編集KN)
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