日本僑報社 2015年9月18日(金) 17時53分
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中国人観光客のマナーの問題が取りざたされるなか、西安交通大学外国語学院の向穎さんは「教育」という観点から作文につづっている。写真は信号無視をする人。
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中国人観光客のマナーの問題が取りざたされるなか、西安交通大学外国語学院の向穎さんは「教育」という観点から次のようにつづっている。
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桜満開の頃、村中先生からこんな話を聞いた。ある父親が自分の子どもを桜の木の枝に登らせているのを見て、先生は「降りなさい」と注意した。そうしたら、その男性は「おばさんが怒っているから、降りようね」と子どもに言ったという。先生はそれを聞いて、あきれたそうだ。
その話を聞いて、祖父を思い起こした。幼いころ、祖父も私を桃の木に登らせたことがあった。母が枝の上に座っている私を見てすぐに「早く下ろして」と祖父に言ったところ、祖父は「大丈夫だよ、このくらい別にいいじゃないか」と答えた。ほかにも、祖父がどこにでもごみを捨てたり、いつもけんかのように大声でしゃべったりするのも、よく見かけた。だんだん大きくなってきた私は、祖父には公共マナーという概念がないと感じた。どうしてかという質問を母にしたことがある。
祖父は1944年に生まれた。祖父が育った貧しい田舎には学校がなかった。祖父の両親はしつけどころか子どもを食べさせるだけでも精一杯だった。そんな祖父はなんとか就職できたものの、飢えに苦しむ生活が続いたそうだ。「衣食足りて礼節を知る。お母さんは礼儀正しいから、きっと豊かに育ってきたのでしょうね」と私は母に聞いた。祖父が24歳の頃、長女が生まれた。それが私の母だ。文化大革命が始まったばかりのころで、物資が非常に欠乏していたので、やはり満足に食べられなかった。幼い母は、リンゴは病気にかかったとき、アメはお正月のときにしか食べられなかったという。
「えっ、それならお母さんとおじいさんが違うのは物が豊かかどうかとは関係ないじゃないの?」「うん、家では特別しつけをされなかったけど、少なくとも学校には行ったことあるわ」。母はしばらく黙って「実は、私が気をつけているのはあなたのためもあるのよ」と言った。私は90年代に生まれた。その時代の子どもたちと同じく、幼稚園でさまざまなルールを教えられた。手を上げると発言ができ、並んでご飯を受け取り、みんなと一緒に昼寝をするときには声を出してはいけないなど、基本的な規律を学んだ。学校のほか、母からもずっと厳しいしつけを受けた。
私が生活していた小さな町の横断歩道には一部分しか交通信号がなかった。そのため人々には信号に従う習慣がなく、時として赤信号でも飛び出していく。しかし、母は違った。車が通っても通らなくても、必ず私を連れて一緒に信号が青になるのを待っていた。「家庭教育なしに育ってきたからこそ、自分で手本を示して子どもを教えることにしたの」と母は言う。
公共マナーを身につけるには学校教育が必要なだけでなく、義務教育が普及した今日、家庭教育がより大切な要素だろう。今両親の欠点を受け継いでいる人がいることは否定できないが、母のように両親の欠点を反省し、子どもにマナーを身につけさせた人もいる。あの男の子がたとえ公共マナーを身につけていない父親を持っていても、将来きっと自らの行動で自分の子どもに公共マナーを教える父親になることを信じたい。(編集/北田)
※本文は、第十回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「『御宅』と呼ばれても」(段躍中編、日本僑報社、2014年)より、向穎さん(西安交通大学外国語学院)の作品「祖父、母、私」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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