60年間「戦犯」の汚名、韓国人男性の恨み=「今さら誰を恨む」「この人も被害者かもしれない」―韓国ネット

Record China    2015年4月3日(金) 23時7分

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2日、韓国のテレビ局MBCは、「太平洋戦争で捕虜監視員となった韓国人たちは、“戦犯”の烙印を一生背負って生きている」と報じた。これに対し、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。写真は東條英機らが祭られている靖国神社。

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2015年4月2日、韓国のテレビ局MBCは、「太平洋戦争で捕虜監視員となった韓国人たちは、“戦犯”の烙印(らくいん)を一生背負って生きている」と報じた。

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報道は、太平洋戦争当時の1941年に18歳だったある韓国人男性を紹介。日本がタイとインドネシアに造った連合軍捕虜収容所の監視員として動員した朝鮮人3000人の中に男性もいた。戦後の裁判で死刑判決を受けたA級戦犯は東條英機ら7人だが、捕虜の監視をしていた朝鮮人は23人が処刑された。男性も死刑判決を受けたが、その後減刑され、12年間を刑務所で過ごした。しかし、釈放後も「誰にも歓迎されない」と韓国に帰ることができず、「戦犯」の汚名を背負ったまま日本で生きている。日本政府に繰り返し補償と名誉回復を訴えたが、返ってきたのは「解決済み」という言葉のみ。同様の境遇にある韓国人は男性を含めて5人残っているが、全員90歳を越えているという。

この報道に、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。

「この責任は一生背負っていかないといけないと思う」

「まぎれもない戦犯だ」

「1941年当時、捕虜収容所で監視員として働いて、実戦への配属もなく、給料も貰っていたんだから戦犯だと思う」

「国を侵略したやつらと手を組んでおきながら、今さら誰を恨むというんだ?」

「家族のために第一線で戦って死んだ人もいるのに、捕虜監視をしておきながら、いまさら戦犯であることを悔いても遅い」

「自分の選択に言い訳を並べるのは正しくない」

「日本人たちは、本当にうまくやったよ。戦争が終わったとき、戦犯のことまで考えて捕虜監視員を韓国人にしたんだ」

「今でもこのような人がいることが心苦しい。今からでも政府の対策を望む」

「この人も、日本による韓国侵略の被害者なのかもしれない」(翻訳・編集/三田)

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