略称から「友好」を削除した中日友好医院、「略称標準化措置の一環」と説明―中国

Record China    2015年2月17日(火) 22時38分

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17日、「中日友好病院」という名称が正式に「中日病院」に改められたという情報がSNSで広まっている。写真は中日友好医院。

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2015年2月17日、「中日友好病院」という名称が、正式に「中日病院」に改められたという情報がこのほど、微博(ウェイボー)や微信(Wechat)の「モーメンツ(友人圏)」の間に広まった。これについて、多くのネットユーザーから、「友情も尽きたという意味?」と揶揄する声が上がった。病院側はこれに対し、「中日病院という名称は標準化された略称に過ぎず、正式名称は中日友好病院であることには変わらない」としている。直属・関係部門の名称に関する国家衛生・計画出産委員会の通知によると、「中国医学科学院」も同じ時期に標準化の対象となり、「医科院」という略称が使用されることになったという。 北京青年報と新京報が伝えた。

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実際、数日前に中日病院の公式微信アカウントにはすでに次の情報が投稿されていた。

「国家衛生・計画出産委員会が発表した『直属・関係部門の略称標準化に関する通知』にもとづき、本病院の略称を『中日病院』とする。しかし、正式名称は『中日友好病院』で変わらない。今後、党・政府機関の正式文書、公印の使用、特別に正式名称を使用することが求められた場合以外は、略称である「中日病院」の名称を統一的に使用する」。

▼「中日病院」の名称も長年使われてきた

実のところ、「中日病院」の4文字は、今回初めて登場した訳ではない。361番、379番、419番など同病院に停車する多くの路線バスは、長年の間、停留所の名称に「中日病院」を使ってきたため、乗客には馴染みが深い名称だ。通常措置の一環として、病院の略称を標準化することも、今回が初めてではない。同病院に勤務している医師は、「これまでに、地方からやって来る患者の中には、『中日友好病院』と『友誼病院』を混同している人がいた。今回の名称変更によって、誰にとっても分かりやすくなるだろう」と指摘した。また、衛生部門の内部でも、簡単な呼び方の「中日病院」という名称を、長年にわたり使用してきた。

▼病院側の回答「標準化した略称使用に過ぎない」

中日友好病院は15日、公式微博上で、「略称」に変更したことを認めた。また、その理由について、「国家衛生・計画出産委員会が発表した『直属・関係部門の略称標準化に関する通知』にもとづき、本病院の略称を『中日病院』とする」と発表した。

▼正式名称はあくまでも「中日友好病院」

中日病院の公式微博によると、同病院のほか、国家衛生・計画出産委員会は、同じタイミングで、以下のその他医療機関の略称を標準化した。

・「中国医学科学院」は、「医科院」

・「中国医学科学院北京協和病院」は、「北京協和病院」

・「国家心臓血管疾病センター」は、「心臓血管センター」

・「国家がんセンター」は、「がんセンター」

▼「中日友好病院」の歴史:中日間借款協力・無償援助の第一弾プロジェクト

中日友好病院の歴史は、1979年9月3日まで遡る。当時、谷牧(グー・ムー)国務院副総理が訪日中に大平正芳首相と会談し、中日間借款協力・無償援助の第一弾プロジェクトについて合意した。同プロジェクトには、近代病院の建設が含まれていた。1980年5月29日付人民日報紙上に「中華人民共和国華国鋒総理の日本国訪問に関する共同新聞発表」が掲載され、第10条に、「北京に近代病院を建設する」という計画が明記された。

同年7月16日、「中日両国の共同建設による中日友好病院設立をめぐる問題解決に関する認可請求報告書」が国務院に批准され、病院の名称を「中日友好病院」とすることが確定した。

1984年4月3日、胡耀邦(フー・ヤオバン)中共中央総書記(当時)が「中日友好病院」の病院名を揮毫した。同年10月23日、中日友好病院が正式に開業した。(提供/人民網日本語版・翻訳/KM・編集/武藤)

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