3000人の学生を戦場に送った大学、立命館が建てた平和のための博物館―中国紙

Record China    2014年11月25日(火) 20時20分

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25日、立命館大学国際平和ミュージアムの近代的な外観は、古の京都の町並みの中で異彩を放つ。それ以上に特別な点は、ここが日本の歴史を反省し、国際社会に平和を呼びかける博物館であることだろう。

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2014年11月25日、立命館大学国際平和ミュージアムの近代的な外観は、古の京都の町並みの中で異彩を放つ。それ以上に特別な点は、ここが日本の歴史を反省し、国際社会に平和を呼びかける博物館であることだろう。同大学がこのような博物館を建設したのは何ら偶然ではない。揚子晩報が伝えた。

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▼3000人の学生を戦争に送り込んだ大学

立命館大学は、戦後「自由と清新」「平和と民主主義」の建学精神を掲げ続けてきたが、第二次世界大戦において軍国主義の被害が最も大きい日本の大学という皮肉な歴史がある。

半世紀以上昔、当時まだ20代の学生たちは軍国主義の指導の下、強制的に、あるいは自主的に武器を取り、戦争ロボットと化し、戦争の犠牲者となっていった。

「第二次大戦中、立命館の3000人以上もの学生が戦場に赴き、戦死していった」と博物館の村田博俊氏は語る。

戦後、日本の軍国主義は徹底して一掃されることはなかったが、立命館大学の有識者は侵略戦争を深く反省するとともに、校内に「わだつみ像」を設置し、多くの学生たちに無念の死をもたらした戦争に対する悔しさを表現した。同大学学長は毎年職員を率いて、この像の前で「不戦のつどい」を開き、「二度とペンを銃に持ち替えない」という決意を誓っている。そして1992年、国際平和ミュージアムが設立された。

▼「(史実は)そうだったのか」と感嘆する子供たち

村田氏は、「長崎や広島の記念館は、日本が被害者であるという歴史を反映しているが、このミュージアムでは、日本が加害者であったという歴史も紹介しており、比較的全面的な歴史解説がなされている」と語る。また、同校は歴史学者が多く、館内の展示物は学者らの研究の成果に基づいているという。

記者が館内で取材をしていると、見学に来ていた数十名人の小学生を偶然見かけた。村田氏によると、見学に来る半数以上が中学生だという。

54人の修学旅行生を引率して三重県鈴鹿市から来たという小学校教員の神田氏は、「小中学校の教科書に掲載された日本の侵略の歴史に関する記述は詳細さに欠ける。ここで豊富な戦争資料を目にすることで、子供たちは戦争に対して感覚的認識を得ることができる」と語る。多くの子供たちがこれらの真実、客観的歴史展示物を見るなり、「(史実は)そうだったのか」と感嘆する。

▼歴史を反省し、過去と真摯に向き合うことは容易でない

日本の中国に対する侵略戦争の紹介について、この博物館では老兵の日記や当時の新聞、軍用地図、戦場写真といった資料で解説している。

立命館国際平和ミュージアムの名誉館長である安斎育郎氏は、かつて南京を訪れたこともあり、博物館が如実に展示するのは「過去と真摯に向き合うため」と語る。

日本の戦争を理性的に回顧し、大学の博物館で過去を直視する。こうした態度は尊重に値する。しかし、日本では「過去に目を向けたくない」という政治家や国民は多い。記者は同類の博物館や記念館を多く取材しているが、立命館国際平和ミュージアムの来場者数は昨年の4万3000人が最多で、その数は長崎の原爆資料館の10分の1に過ぎない。東京の靖国神社の毎年数百万という参拝者とも比べものにならない。(提供/人民網日本語版・翻訳/IM・編集/武藤)

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