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中国山東省威海市文登区の南西に「昌陽山」という山がある。旧暦3月2日にこの山で500年以上も続けられている祭祀が荘厳に行われた。
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中国山東省威海市文登区の南西に「昌陽山」という山がある。旧暦3月2日にこの山で500年以上も続けられている祭祀(さいし)が荘厳に行われた。――人々が龍母様(龍王様の母親)を拝む祭祀だ。伝統衣装を身にまとった人々は「国家安泰」「五風十雨」などと書かれた布を掲げて祭祀会場に入り、祭祀司会者の指示に従って儀式に臨んだ。儀式の後、今年満70歳のお年寄りのための「龍母宴」が開催され、「孝」文化をも宣揚されている。地元には昔から旧暦3月2日は龍母の誕生日という言い伝えがあり、やがて現在の回龍山祭になった。この回龍山祭について、美しい伝説がある。
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昔々、文登の南西にある昌陽山の麓に東山村という村があった。村に住む「李」という男性の妻の郭さんは川で洗濯する時、喉が渇き川の水を飲んで妊娠した。郭さんの妊娠期間は3年に及び、赤ちゃんが生まれた時は雷を伴う暴風雨だった。屋外で妻の出産を待っていた李さんは赤ちゃんが生まれたと聞き、母子を見るために部屋に入った。李さんはある「怪物」が蛇のような尻尾を家の梁(はり)に巻き、郭さんの懐中で母乳を飲んでいるのを目撃した。「怪物だ!」と李さんは叫びながら鎌でその尻尾を切ってしまった。だが、郭さんが産んだのは龍だったのだ。龍を産んだ郭さんの夫が「李」という苗字であることから、後に地元ではこの「龍」を「李龍爺」と名付けた。また、その尻尾が切られたため、「禿げた尻尾李」とも呼ばれている。
李龍爺は母親の郭さんに孝行を尽くした。母親が亡くなり、最初は柘陽山というところにその墓が置かれた。後に、墓は出身地の昌陽山に移転された。そのため、地元の人々は昌陽山を「回龍山」と改名した。また、郭さんの誕生日の旧暦3月2日には、李龍爺は必ず母親の誕生日祝いのために(天界から)里帰りする。地元の人々は李龍爺の里帰りの機会を利用して、回龍山へ健康・安全・豊作などを祈願する。中国の神話の中で、「龍」は雨を操る神であり、地元文登は昔から春は降雨が少ないため、このような物語が誕生したと考えられる。また、中国人は親孝行を重視し、李龍文化に「孝文化」も加えられ、現在まで伝承されている。
上記の話はおよそ500年前から地元で口から口へと伝えられてきた。やがて清朝の乾隆帝の時代、李龍爺伝承は「文登県誌」に収録され、口伝承と史料伝承の両方になった。地元文登区を流れている川は「抱龍河」と名付けられ、川沿いに赤ちゃんを抱く龍母の石像がある。川の近くに「抱龍河公園」もあり、李龍文化の地元での浸透が訴えられている。
龍母の誕生日を祝うための「回龍山祭」は戦時を除き、地元で何百年も続けられてきた。そのため、回龍山祭は2008年に国指定有形文化遺産に登録された。
現在の回龍山祭は伝統的な祭祀のみならず、芸能を披露する場でもある。また、地元の特産品も展示され販売されている。民俗と商売の大盛会となっている。回龍山祭は今年は新暦3月29~31日が開催日であった。
■筆者プロフィール:張燕波
中国山東省威海市出身。1998年に技能実習生として初めて日本へ。2000年から日本留学。06~12年にイオン九州に勤務。13~20年に神戸大学大学院修士課程、博士課程で日本の古典文学を研究。21年に帰国し、現在は山東省青島市の私立高校で日本語教師を務める。
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