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名古屋大空襲で焦土とかした名古屋市街(写真はWikipediaより)
石破首相が「戦後80年談話」発表を検討、昨今の国際情勢を踏まえ平和国家・日本の意義を示すとの報道が流れている。戦後80年特集が各種メディアで盛んに取り上げられている。「戦後80年」と「終戦80年」ではその意味合いは微妙に異なる。「敗戦80年」はさらに異なる。戦争時代を主とするか、戦後復興・成長時代を主とするか、過去を見るか今を見るかとも言えよう。正確に表現すれば、今年は日本が戦争に敗れて80年であり、終戦から復興・発展を始めた戦後80年である。
昭和17年(1942)生まれの筆者はNHKラジオで昭和21年から10数年放送された「尋ね人の時間」が忘れられない。「昭和17年から2年ほど、旧満州〇〇で食堂を営んでいた父親〇〇〇〇を探しています」「昭和20年春○○部隊にいた〇〇さんの消息をご存じの方は、『尋ね人』へ連絡下さい」「ビルマ〇〇で昭和20年3月生き別れになった〇〇〇〇さんをお姉さんがお捜しです」「シベリア抑留中に〇〇収容所にいた〇〇さんをご存じの方は、日本放送協会へ連絡下さい」「昭和20年10月引揚船・雲仙丸で帰国した際、世話になった〇〇さんを探しています」…そんな切々たる放送が今も耳に残っている。
さらに遡れば、名古屋大空襲で近くの三菱重工が猛爆撃を受け、燃え上がった真っ赤な空が幼い脳裏に焼き付いている。防空壕へ度々避難したのも断片的に覚えている。生母・継母・兄2人は栄養失調で亡くなった。食糧難時代は小川や田んぼで雷魚・ザリガニ・イナゴを採り、飢えをしのいだ。傷痍軍人や浮浪児が街にあふれ、貧しさゆえに身を売らざるをえない女性を唄った「星の流れに」は80万枚の大ヒットとなった。小学生の頃は継ぎ接ぎの服だった。第二次世界大戦での世界全体の死者は民間人3800〜5500万人・軍人2200~2500万人と言われている。当時の世界人口の3~4%が死亡した。そんな悲惨なことは誰も望まない。
今年は日本では終戦80年、戦後80年。中国では中国人民抗日戦争勝利80年。世界では第二次世界大戦終了80年、国連創設80年。世界が平和であってほしい。が、今なお各地でテロ・紛争・戦争が頻発している。国連は機能不全とも言われている。外国は外国、違って当然。和やかな世界であるために、外国に関するネガティブ・排他的情報に惑わされることなく、ポジティブ・協調的な情報に注目し相互理解を進めてほしい、戦争幼少体験者の切なる願いです。
■筆者プロフィール:小島康誉
浄土宗僧侶・佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表・新疆ウイグル自治区政府文化顧問。1982年から新疆を150回以上訪問し、多民族諸氏と各種国際協力を実施中の日中理解実践家。
ブログ「国献男子ほんわか日記」
<新疆は良いところ>小島康誉 挨拶―<新疆是个好地方>
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